産業遺産探索ドライブ.11    ●画像クリックで拡大表示アリ
11月23日(tue)【くもり】
 気温はバイクに乗った日曜の半分・・・最高7℃・最低2℃!・・・寒い・・・
 さすがにバイクもオープンも長距離は寒くてムリ・・・オフ道も走りたいからパジェロで出る。



 江別〜南幌のウラルート、晴れ予報だったが雲が厚い・・・その雲から“天国の光”が差す。
 北上して向かう岩見沢方面の上空は晴れていた。

岩見沢


 岩見沢の町並みは古い建物が多く残っているが、過疎地のような悲壮感漂う暗さを感じない。
 札幌がキライなワケでもないが、このくらいの街の感じが一番良く思える今日この頃です・・・

 三笠市幌内町へ
 カプチーノでは入れなかった奥まで
 また、かつての炭鉱街の景色を補間に・・・

 木々が落葉すれば、また何かが見えるか?
 ・・・長靴を持ってこなかったな・・・

北炭幌内鉱 (1879〜1989年)
 道内最古の炭鉱、幌内炭鉱の施設跡

 水たまりだらけの道を入り、
 施設跡の真ん中へ

 道路には軽自動車が1台止まっていたが、
 若い男子が数人乗ったランクルが入ってきた
 ・・・廃墟マニアかね・・・

 更に奥にある幌内炭鉱変電所
 路駐してある軽自動車に向かって歩いていたのは、
 “ゆこりん”みたいな若い女の子2人!だった・・・

 可愛い格好で普通に山の中歩いてるけど、「クマの足跡が見つかりました」看板見たのかい?
 ・・・元住民だったとか、リアル世代じゃない人でも、ここへ来る若者もいるもんだね〜。



 変電所から西側、川を渡る橋があり森の中に住宅があったと思われる宅地のような場所がある。
 幌内本沢町・・・こんな奥地にも炭鉱住宅はあったというから驚きだ・・・
 今ではバスやクルマで工場へ通勤が当たり前だが、当時は山の中だろうと施設の近くに自宅なのだな。

 変電所の脇の川沿いに続く道、平成16年度から「景観公園」として整備されたルートがある。

 安全灯庫 (大正から昭和初期頃)
 安全灯を設備したレンガ造りの安全灯庫。
 深い坑内、発生するガスで爆発の危険もあり、
 明治26年(1893)頃から安全灯が使われ、
 明治30年頃からは電気や、電池式の安全灯が使われた

 屋根は崩れているが、壁面のレンガが豪華に見える。
 施設を巡るコースとあって、案内板もあるが、
 その後はどうなっているのだろうか?
 後生に歴史を伝えるツアーも、続くと良いけど・・・
 幌内.COM

 大坑道(音羽坑) 明治12年(1879)開削
 開拓使が開削した、北海道で最古の大規模炭鉱
 大坑道は延長約700m、3年計画で炭層まで掘削
 そして石炭を搬出するため、北海道最古の鉄道、
 幌内鉄道のレールがこの坑口へと伸びていたという

 北海道の炭鉱で唯一囚人が使役され、
 一般坑夫の約8割が囚人だったといい、
 1日約800〜1,200人の囚人が
 危険で過酷な作業に就いたという・・・
 冬の寒さと劣悪な環境で労働を強いられ、
 傷病疫病で多くの犠牲があったという・・・


 クマ〜!

 うっそうとした山の中、無防備で歩いてて
 コレ見たら、普通はビビるよね・・・
 だけど散歩?しているオジサンもいるし・・・
 街を歩くような服装で歩いていた女の子達・・・

 クマの方が怖がってるわなw



 幌内神社に上がって、幌内中央町を望む。葉が落ちたとはいえ、よく見渡せなかった。
 ・・・当時は施設の周りに木々も少なくて、境内から町まで見渡せただろうけど今は森の中だ。
 常磐坑の近くにあると思う小さな鳥居と神社?そしてハシゴ、下には原動室と書かれた緑の看板が見える。



 「鉄道村」のある中央町から東にある沢を進むと、かつて住宅街だった、奔幌内町・・・
 40年ほど前の地図には、生協もある。未舗装の林道を進むと、家の土台らしき跡や、
 小川を渡る小さな橋があるだけだが、住宅地として整地されたことが何となくうかがえる。



画像:左> 林道を戻ると、女の子2人組の軽自動車がまだあった。どこまで探索してんのかね・・・

画像:右> 「鉄道村」も冬期閉館で静まりかえった幌内を後にして、三笠市内へ。
  この「三笠山橋」の右手には、かつて劇場などがあり、人の往来も多かった道。

 遅い昼飯はどうしようかと、また食の魅力満載の美唄まで走ることにした。
 国道12号沿いにあるアンテナショップ・・・今年は何度も来ているな・・・
 名物「とりめし」を買うが、晩飯用だというヨメ・・・結局はコンビニで肉まん食っただけw



 南美唄へ向かって、現在は民間企業の事務所となっている旧美唄鉱業事務所を過ぎ、奥へ進むと炭鉱があった谷。
 上に向かうと自衛隊の駐屯地、未舗装路の奥には北菱美唄炭鉱があり、今も石炭が露天掘りされている。
 その北菱美唄炭鉱の敷地手前に、東へ林道が延びていた・・・パジェロだし当然潜入してみます。
 林道入り口付近には、炭鉱関係の何かが防空壕のようにあった(後日調べ=電車線輸車路跡

三井美唄炭鉱変電所


 林道は谷へと下って続く・・・建造物がチラホラ見えるが、北側、谷の反対側に大きな建造物が見えた。
 谷に流れる川を渡る橋まで来ると、その建物が藪の中にドンと見えてきた。


 ギリギリ見える道へ突入・・・
 こんな時はパジェロが大きすぎると感じる・・・
 これ以上先は笹藪で道が見えないし・・・
 建物のすぐヨコくらいに止まる

 帰りはバックで側溝に落ちないように・・・



 炭鉱跡よりも沢の上流にあることから、変電所のような気がする・・・
 (後に以前見たHP調べて「三井美唄炭鉱変電所」と判明し、周囲には他にも遺跡があるようだった)
 明治や大正に建てられた変電所は、レンガ造りで廃墟でも洒落て見えるが、昭和の建物は機能優先かな・・・

 林道制覇のつもりじゃなかったが、
 パジェロなんだから、ガマンできない・・・

 細いクサリのゲートが開いていたし、
 行けるところまで行ってみることに♪



 キレイに舗装された区間もあったりで、走りやすい林道・・・かなり登ってきた!
 カラマツの落葉でオレンジ色の道、美唄の町を見下ろす景色が広がる、なかなか良い眺めだ!


 珍しく1台のクルマとすれ違った・・・
 そして分かれ道に来た

 ・・・地図では山を越えて北側にある町、
 落合町へと道が続いていた
 そのゲートも開いて、看板に「落合線」とある



 それから下りとなる林道は未舗装になり、やや凸凹が激しくオフ車じゃなきゃ走りたくない林道になった。
 やっぱり林道走るのは楽しい〜・・・やっぱり買換するにも最近の“なんちゃって四駆”なRV車は選べないな。
 軟弱RV車でガンガンこんな道を走ったら、塗装バンパーがボロボロ、下回りガタガタになりそうだもの・・・



 美唄中心地の向こうに、ピンネシリの山々が低い太陽の光をあびてキレイに見えていた。
 ほどなくして落合町に降りる。鎖ゲートも開いていて、ドキドキ楽しい林道走破も終わり。



 2階建ての立派な炭鉱住宅が残る落合町を抜け、美唄の町から、いつものウラルートで南下。
 林道は予定外だったが、楽しめた。その分、少し予定が遅れてしまったが、再び三笠へと向かう。

 三笠中心地から奥の幾春別へ

 また雲間から太陽の光が差し、
 天国の光・・・

 新しい道路を畑だった場所に造っていた
 上り下り避けて、真っ直ぐな道か・・・
 走りやすいんだろうけど、
 変化が無いのも退屈になるな・・・

 桂沢湖に向かう道道116号を幾春別の町を過ぎて北に続く道に入る。この道沿いにも住宅が並ぶ町があったのだ。
 川沿町〜川端町〜鳥居沢町〜中の沢町〜奔別沢町の橋の手前まで入ってきて、そろそろタイムアップ。



 舗装路が途切れると、道はドロドロでクルマから降りる気にならない・・・
 この橋を渡った先にも住宅があったと思われる写真もあった。昭和30年代(1950年代)のことだ。



 そろそろ引き返えそうと道を戻ると、ダンプが走ってきた。
 この奥地では、ダム工事が行われているようだ。・・・ここもダムか・・・

 夕張をはじめ炭鉱町は谷間にあるから、ダムとセットになっている町が多いんだな・・・
 通行止めされているが、キレイに舗装された新しい道が山の上に伸びている。
 看板を見ると「幾春別川ダム」とある・・・道の先はダムの壁が出来るのか??
 もう家も無いけど、沼田町に続き大夕張、そしてこの辺もダムに沈む町となるのだろうか・・・



 奔別沢町〜中の沢町、一番奥に見える山の上の方にトラックが動くのが見えた・・・採石?ダム工事?
 なんだか分からないけど今度は、山の奥に続く道から散水車が降りてきた。

 中の沢町の辺りだと思うが、林の中に宅地があったと思われる家の基礎?が見えた。
 今はクマが出そうな森・・・商店、学校、病院まであった町はどんな景色だったのか?

 道道からの入り口から川沿町に入ると、
 鳥居沢町に露天掘りの砂子炭鉱があるだけ

 美唄の奥、美唄ダムの先で途切れる道道135号
 平成27年には芦別方面まで開通する予定という
 地図を見ると、この道も奥まで道を造れば
 道道135号と合流できそうに見える・・・
 でも今さら開通してもメリットがあるのだろうか?



 幾春別に戻り、3日前に来たばかりの住友奔別炭砿を見下ろす小中学校があった?場所へ。



 慰霊碑を通り過ぎ、高台を奥へ進むと「四国八十八箇所」の霊場?の七宝山弘仙寺がある。

 幾春別の隣、弥生地区

 夕暮れの炭鉱住宅の景色・・・
 自分が生まれて間もない頃の景色か?

 懐かしむには、自分の世代より少し古い時代だけど、
 活気があった昭和の景色が思い浮かぶようだ
 洗練された現在の家並みが殺伐として見えるのは
 なぜだろう?人情味が薄れたせいだろうか?



 気温が下がり、澄んだ空だったが今日も空が広すぎ?て、オレンジ色に染まった空はわずか・・・
 年内まだバイクやオープンに乗るチャンスがあるか・・・そろそろ冬タイヤに交換というのに、まだ考えている。

現地調達
 岩見沢の「たまねぎパイ」は甘さ控えめで
 たまねぎの風味が効いてて大人の味?

 美唄は魅力ある食が多くて買いすぎるな・・・
 今回はパジェロだし、地物の栗、キャベツ、椎茸まで買った
 産直キャベツ130円!さすが甘くて美味しい
 椎茸も肉厚!早速、最高のバター焼き♪
 どれも安いし、スーパー買いとは段違いに新鮮で美味しい
 そして名物「とりめし」&自宅で作る「とりめし」セット
 美唄やきとり・・・そして香りの良いマルメロを試しに1つ

 何度も足を運び、家では古い白黒写真などの資料を見直していると、どこの場所か判明してくる・・・
 冬は郷土資料館など見て回って、古い写真など収集出来たらよいけど、欲しい年代の写真は少ないだろう。
 どうしても明治からの開拓100年の資料が多く、浮かれて弾けた?70〜90年代の町を写した写真は無いものだ。
 今集中的に調べて回っているのは消えそうな炭鉱街、これじゃいつの間にか廃鉱マニア?
 北海道の歴史上で重要な産業、林業や石炭産業で栄えた街の風景を知りたいのだが・・・
 70〜90年代、暮らした街や当時は知らない街の風景、もっとカラー写真の資料を見たいな〜!

▲TOP
Copyright © GARAGE S All Rights Reserved.

inserted by FC2 system