林道ドライブ.2<穂別町長和・新登川>    ●画像クリックで拡大表示アリ
7月23日(sat)【晴れ】
 まだバンパーなどは林道仕様に間に合わないが、エンジンアンダーガードも付けたし、ちょっとドライブと言いつつ、昨年は入ってゆくことができなかった土地を目指す。
 毎度の道道ウラルート経由で夕張方面へ。

 三川の田園も作物が育ちパッチワークになってきた。大きな災害ばかり続く近年、国産の農作物や魚介類など不足に歯止めが効かないのではないかと不安になるが、北海道に暮らし、こんな景色を見てると何も変わっていないような錯覚をしてしまう。

登川
 国道274号で新夕張を過ぎ、再び登川のバス停前。年内には道東道<新夕張〜占冠>区間が開通予定のため、もうこの辺の工事はほとんど終わっているようで、ここでは工事事務所も無くなり、工事関係の車両も見かけない。
 元の風景に戻ったともいうが、また人の姿が減ってしまい寂しく、ひっそりとした感じでもある。
 北海道も夏真っ盛り、草木がボウボウ生い茂り人工物を覆い隠す。

穂別ダム〜穂別町長和
 今回の目的は、昨年にパジェロで行こうと思ってたが高速道建設の工事関係者しか入れないものと思ってあきらめた「穂別ダム」の奥地。そこは長和(おさわ)地区といって、かつては学校や病院などもある集落があり、その最深部には新登川と呼ばれる集落があったのだ。

 国道274号で「穂別ダム」を渡りきると北へ入る道がある。道の入り口に工事関係者が立っているので、昨年は引き返したが、進んでみるとすんなり通してくれた・・・関係者以外も入れるということは・・・通り抜けられるルートなのか?、道の奥には生活が残っているか?、釣り場か?、山菜採りか?・・・を意味している。

▼今回の「長和」探索ルート (オレンジのライン)


 片側通行を誘導され、まだ工事中の道道1165号に入った。
 道路が新しく広い・・・
 どうやら、この奥に道東道の料金所「穂別IC」が出来るので立派な道を造っているようだ。


 穂別ダム湖を左に見て走り、湖が途切れた辺りで牧草地が見えてきた。
 右手にも古い木造住宅らしい建物や牛舎らしい小屋などあり、工事関係者が利用していたりした。
 料金所を建設中の場所には、学校の形跡がある。高速道建設のための砂利工場もある・・・舗装は途切れ建設中の高速道を左手に見ながら、ナビに見る本線らしい道を進むと高速道で途切れていた。


 分岐地点まで引き返そうとすると、高速道の下にシカを発見。
 今まで地図さえあれば使う必要はないと思っていたが、今年買ったナビが林道探索には重宝するな。

 少し戻ると迂回ルートがあり、特に止められることもなく、さらに北上。

 工事関係の人もいるし車両も往来している。道が空くのを待って、軽く会釈しつつ通してもらえた。


 道路沿いの生い茂る草の中に、建物が埋もれるようあるのが見えた。
 背丈以上ある草に覆われ、建物への道も分からない。草むらの下は湿地のようでスニーカーでは突入できないし、目をこらして建物を見るが、いつの時代の建物か、何の建物か、○の中に“井”と見えるマークが何なのか・・・
 ここを数年前に探索している人のHPにも載っていたが、春にでも来ないと草が多くてよく見えない。

 作業は夕方5時頃までか?工事車両も忙しく行き交う。
 クルマ一台分の道幅、草も生い茂って見通しも悪い道、大型トラックとコンニチワしないことを願いつつ、さらに奥へと進む。

 時々、草木に埋もれるように木造家屋が見えたりするが、さらに奥にあった集落の形跡は見ることができるのか?
 ここまで高速道が完成している今頃来たって、もう下敷きになってしまったか・・・


 森の中に畑っぽい場所・・・なんとなく人が居る形跡があるカーブを曲がると、そこに人家が突然見えた・・・
 目の前には石勝線の高架橋、積んである薪、ビニールハウス・・・土地を守って暮らしている!?
 軽トラックはあったが、街からここまで通って来るような場所とも思えない。明治36年に入植し、ここ一帯を開拓した人の末裔なのだろうか・・・
 ネットで34年前(1977年)の航空写真を見ると、確かに農地は広がっていたようだが、その土地を高速道が走っている。今は何を営みとしているのだろう・・・タイムスリップでもしたような不思議な気持ちで、ただその場を通り過ぎた。

 線路と並走するように奥へ進むと、線路をくぐる脇道がゲートで閉じていた。
 この奥が新登川だろうか?
 開けられそうなゲートだがそのまま進む。


 道路の先に「通行止」の看板が見えた・・・ここまでか・・・
 他にも行きたい道があったので、今回はここまで。また違う時期に来れたら来てみたい。
 素直に「通行止」に従って、スノーシェルターがある線路脇の道を引き返した。


▲7年ほど前に長和に来た人のHPや、34年前の航空写真を見ると、最終地点のすぐ先にある「新登川」

 夕張市登川の炭鉱も昭和28年(1953)に閉山とあるが、ここ新登川にも、大正7年に石炭を掘り始め、太平洋戦争で石炭需要が高まった頃に稼働していた小さな炭鉱があったようだ。
 調べた範囲では新登川の炭鉱は断続的に稼働したようで、最後の記録は昭和21年〜29年(1946-1954)の短い間。最後は火事により製材工場や鉄工所、変電所などが消失し、坑内に出水し採炭不能となって閉山。

 新登川の学校の歴史は、昭和21年(1946)に「長和国民学校新登川分校」として開校し、昭和24年に「新登川小中学校」となった。昭和31年(1956)に「新登川小学校」が放火で全焼、中学校は昭和32年(1957)に長和中学校と統一され、昭和38年(1973)に小学校の新校舎が完成するが、昭和45年(1970)には新登川部落が集団移転となり、学校も廃校・・・

 奥穂別の最深部、新登川・・・集落の繁栄と衰退により、二転三転する学校の歴史があったようだ。
 ネットで調べて「炭鉱町を旅する」で見た画像は、基礎があった場所に木札のような簡素な碑があるだけだった・・・


 鉄道車両を撮影するなら絶好のスポットだけど・・・すぐヨコを特急が走ってゆく。
 2011年5月27日、トンネル内で起きたJR火災事故はここより数キロ東だ。道道も割と近い箇所、長いトンネルの真ん中でなくて良かったが、山深い場所で夜の事故は、さぞ恐ろしかったろうな・・・


 前方に大型トラック、後方に白ジムニー・・・工事車両に挟まれて元の道を戻る。
 川の対岸にも木々に埋もれる家屋が見えた。


 長和小中学校跡・・・インターチェンジになる場所が学校跡地。料金所を造り始めていた。
 左手には奥穂別八幡宮の鳥居・・・もうボロボロで朽ち果てそうだ。工事車両が行き交うし、校門前にクルマを止めて歩いて近づくが、鳥居の先にあるはずの神社は、草木に覆われて見えなかった。

 “・・・佐々木江蔵氏を先がけに明治38年6戸により草創の煙灯をあげ翌39年22戸の入植者を迎え部落形成・・・”

 真っ二つに割れてしまった石碑を金属プレートで固定している。石碑のヨコにある石版「長和部落沿革」を撮影してきたが、文字がハッキリ見えず全てを読み取れない・・・
 明治以前に蝦夷地(北海道)に渡ってきた人々が、今から106年も前に、穂別のさらに奥を開拓するため、川をさかのぼってここまで入植してきたようだ。


 長和小中学校跡・・・木造校舎は消えていた。柱のように見えるのは、コンクリート煙突と思われる。まだ工事関係に利用されているのか?、奥に小さな体育館だけがその姿を残していた。
 明治40年にできた「奥穂別簡易教育所」がルーツのようで、最後に残った校舎は昭和35年(1960)に改築された建物のようだ。昭和43年(1968)に長和中学校は大和小中学校と統合され稲里中学校となり、ダム建設による住民移転で、昭和50年(1975)には長和小学校(長和小中学校)はその歴史を閉じた。
 穂別ダムが昭和60年(1985)に完成し、その後は牧舎として羊など飼われていたようで、グリーンのタンクは飼育に使われたタンクではないかと思える。

 参照HP:「北海道ドライブの記録


 高速道建設とは関係なさそうな古い鉄骨の残骸。
 昭和32年(1957)には肉牛の飼育も始まっている。農地の開拓と開墾、石炭や石油の採掘、明治38年(1905)ー昭和49年(1974)までの約70年もの長和・新登川の歴史も、今は穂別博物館や図書館で見ることができるだろう。
 ダム建設が始まる前、1970年代この場所に立って見る風景はどんなだったのだろう?

 道を戻り、牧草地が見えてきた所で分岐する道へと進んでみた。


 普通に林道を進むと・・・分かれ道と看板?


 案内図に町道、町道迂回路・・・町道というより山深い林道です。ドデカいスズメバチが飛んでるし!
 高速道の高架橋をくぐる。このルート付近の建設工事は落ち着いたのようで、工事車両は見かけない。


 ナビを見ても「町道」の本線らしきルートに戻るが、そこは生い茂った木々で、やや湿った林道・・・


 崩れそうな危ない箇所もなく、小さなジムニーで北へ向かってホイホイと奥へと進む。

 また分かれ道・・・
 右手には小川にかかる小さなサビ鉄の柵が見える。
「まわり道」の案内看板は無いが・・・

長和信号所

 先に右手に進んでみると、頭上には石勝線が通り、線路脇の信号所があった。
 その先には、ここから本当の林道・・・でゲートが閉まっていた。こ、ここまでは町道レベルってこと?集落があった頃は、こんなに森になってなかったのかな〜・・・


 分岐から左手へと進んで行くと、開けた場所に出て森の中を走る線路が左手に見えてきた。
 その先は「長和トンネル」で、トンネルの上に道が続いていたが、あまりにも草ボウボウで道が険しそうなんで、これ以上は突入しないことにした。ここで最終到達点・・・




 線路脇にクルマを止め、トンネルを撮影した瞬間・・・シカが線路を横切った・・・


 ナビも道が途切れたし、こんな場所ですが・・・持参したオニギリで昼食タイム

 道を引き返す。今は鉄道を管理する人が出入りするくらいの道なのかな。

 今年は事故や不備などが続いて揺れるJR北海道。「冬こそJR!」の古いキャッチフレーズを思い出すが、ここに道東道が完成すれば、さらに石勝線の運行に何かしらの影響は出るだろうな・・・
 クルマばかりで鉄旅なんてしないくせに、これ以上の鉄道衰退を心配してしまう。


 牧草地へ戻ると、どこからかトラクターが現れていた・・・牧草地の家屋へ電線が無いようにも見えたが、住んでいるのか?作業小屋として使っているのか?
 道道1165号へ戻る。揺れ続けた身体が止まる・・・今は舗装路が当たり前だから、未舗装の道を長時間走った後は、なんとも言えない静寂。道路脇に、今度は立派な角を見せる雄シカがいた。


 ダム湖へと戻っていくと、右手にあるのが飼料工場なのか、臭い匂いが鼻をつく。とても良いロケーションだけど、ここには公園やキャンプ場は造れないな・・・


 対岸を見ると赤く見える橋がある。何に使われる道なのか? 道道1165号から国道274号へ戻った。


 ダムを穂別方面へ戻り、ダムの駐車エリアへ。そこに記念碑と神社があった。
 穂別町字長和、昭和46年(1971)着工、昭和60年(1985)完成の農業用水ダムです。
 長和と新登川、夏は草が生い茂って見通しが悪いね・・・次回は春にでも来てみたい。

 長くなったので、穂別の林道ドライブは後編へ続く・・・

後編 町道稲穂富内線 >>

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