午前中に雨・・・晴れても路面が濡れてるし天気が不安定だし、またバイク&カプチーノの出番ナシ(涙
1週間前もバイクで大夕張に行ったが、変わる国道452号をまたクルマで走り収めに向かう。
三笠
栗沢から道道30・917・1129号で三笠市幌内へ。
秋深まり気温も下がってきたが、まだ例年より暖かい日曜、鉄道村はそこそこ賑わっていた。
いつか館内を観覧するとして、奥にある幌内炭鉱跡へ
北炭幌内発電所
幌内炭鉱跡の中で唯一しっかり姿を残している発電所跡、立入禁止ではありますが囲いも無くスカスカなもので・・・そっと中を覗いてみると、意外と中はキレイだった。
まだ管理されているのだろうか?真新しいヘルメットも置いてあった。
何にせよ、現在の建築に見ることができない立派なレンガ造りの建造物なのだから、大事に残して欲しいものだ。
布引隧道(ずいどう) 幌内炭鉱・布引坑と選炭場を結ぶトンネル通路の入り口のようです。
土台だけが残る選炭場施設の跡、日に日に草木に埋もれて遺跡のようになってる。
静かな幌内市街地
お寺を過ぎて、
鉄道村に下る道の途中にある脇道へ・・・
幌内〜唐松林道
以前から気になっていた道、ゲートもロープも無いので進んでみる。
クルマ1台分の道幅、山側は側溝になっていて、エスケープゾーンまで距離がある・・・
林道の半分ほど進むと、唐松側の道が広くなっている。いつの頃に拡張整備したのか不明だが、石炭産業が衰退し、最短で幌内〜唐松を結ぶ地上ルートの必要が無くなったから中途半端なのか・・・
2キロほどの短い林道を越えると、唐松側に残る「北炭幌内炭鉱」の立て坑が見えてくる。
再び、岩見沢〜三笠を結ぶ道道917号に戻り、幾春別へ
幾春別
立て坑のてっぺんにある滑車が風でクルクル回っている・・・
以前は無かった真新しい看板。
炭鉱遺跡のガイドマップなで記載されてるが、周辺施設は雑草で覆われていたりする所もあるし、施設周辺の整備までは手が回らないのだろうかね・・・
選炭場の建物、最上部の老朽化で取り壊し?というような記事を最近見たばかり。
土台だけ残っても、どのくらいの規模だったのか写真などの資料だけではスケールが分かりません。現在、民間企業がここ奔別炭鉱の敷地を使っているが、この建物も上手く活用しつつ、残して欲しいものです。
炭鉱施設を横に見て奥に進むと、山の上に変電所などが木々の間に見えるが通じる道は立入禁止。ガイドマップに載っていても近づけない所もある。
さらに奥へと進めば、かつて奔別の炭住街があった場所に出る。現在は住宅も何も残っていないが石炭の“露天掘り”をしている会社がある。白いシートに覆われているのが石炭の山だ。練炭などになるのかな〜?
ここ奔別から奔別川沿いに谷の奥まで進むと、ダム建設の工事が行われている・・・
石炭ストーブは見かけなくなったとしても、まだ石炭産業が消えたワケではない。
昔のように石炭をそのまま燃やして燃料とするだけでなく、新たな生成法などから石炭にも新エネルギーとしての可能性が生まれるかもしれない。
見には行かなかったが三笠で開かれた「石炭シンポジウム」、そこで産炭地の新たな地場産業となるような石炭の活用が話題になっていればと思ってしまう。
桂沢ダム
今日は三笠経由で国道452号を走り大夕張へ。この橋は大夕張の「白銀橋」に似ている。
山の紅葉も進み、クルマを止めてカメラを構える人もチラホラ。
ダム管理事務所があるところまで来てみる。ここも、かさ上げしダムを大きくするようだ・・・奔別に造られるダムと合わせて三笠や岩見沢の幾春別川の洪水対策ということらしいのですが・・・
桂沢ダム
幾春別川流域には石炭の採掘が盛んな地域が多く、三笠市や美唄市など人が増えたことで電力や農業用水などが足りなくなった。すでに明治時代末期には桂沢に水力発電用のダムを造る計画がされていた。そして昭和28年(1953年)ダムの建設にともなって、上桂沢集落の94戸の住民は、50年間住みなれた地を離れることになり、解散式が行われる。住民の移転は昭和30年に完了。ダム建設に伴い172世帯の移転という犠牲を伴っている。桂沢ダムは昭和30年(1955年)に完成し、洪水防止、水力発電などの北海道で初めての多目的ダムとして、注目を集めた。
桂沢ダムへ続く道を上り、見下ろすと太陽の光が当たって紅葉がキレイなのだ・・・
使われなくなった幾春別川を渡る橋・・・
上桂沢集落へ続いたであろう道は森に返っている
道道116号へ戻ると、けっこう混んでいた
桂沢湖の湖畔にクルマが吸い込まれてゆく・・・
ちょうど「紅葉まつり」が行われていて、駐車場にクルマが溢れていき、湖畔は賑わっていた
初めて来たのは25年前の学生時代・・・
チープな恐竜の像がある湖畔、今は温泉旅館も閉鎖・・・
桂沢湖畔もいつまで見られるのだろうか
桂沢から国道452号で大夕張へ・・・
舗装路が全線開通してから、初めてバイクで走った時、この景色が感動だった。大夕張までのストレスのない快走ルート、走りが楽しかったもんだが、気がついた頃には大夕張の街はほとんど消えていた・・・
今年は国道452号の湖畔線がダムに沈む。パジェロ、ジムニー、バイクで桂沢-大夕張間をじっくり走り収め。あとはカプチーノで年内に走りたいのだが・・・
途中、道路にかかる橋から谷間を見ると川岸の紅葉が鮮やかだった。
国道が変わる地点、ここからペースダウンしてビデオカメラを回しながら走る。ジムニー選択の理由はビデオを回す目的もあったのだ。
大夕張
大夕張の街で北に位置する北栄町(官行)、メタノール工場があった場所からぬかるんだ道を奥まで進む。
シカの足跡の他に、まだ新しいと思うペットボトルや弁当ゴミがチラホラ・・・ここに来るのは、かつての住民?夕張マニア?それとも工事関係?くらいだろう。どうしてゴミを捨てるんかな〜・・・
草をかきわけ川岸に近づくと、シューパロ川に堰(せき)が見える。かつては子供達など川遊びをした場所でもあるようだが・・・
クルマに戻って乗り込むと、
ヨメが「クツの泥がなんだかすごいよ」
おおっ・・・確かに枝やら葉っぱまで・・・
クツ底の泥を石コロなどで落とそうと、すぐクルマを降りた
!?・・・(クンクン)・・・
くっさぁ〜!!
ちょっと指に付いた泥を嗅ぐと、なまら臭い!(><;)
泥かと思ったソレは、ネットリと靴底に・・・
水溜まりに靴底を突っ込んでも取れない(涙
たまたま今日は普段クツを持参していたので、クツを履き替え、洗いきれないクソ付シューズはビニールにくるんで持ち帰り・・・
クマの足跡も無いし、なんとなくホモサピエンスなスメル・・・最悪〜!(涙
←ツリそうな体制で靴底を洗う人・・・
春日大橋
立入禁止のロープも解かれているし・・・もうヤケクソ? いえ、ちょっとお邪魔させて頂く
遠くから見ていた橋を間近に見ると、新しいように見えた橋も昭和40年11月完成の橋・・・生まれる前です。
北栄には営林署などもあったし、林業で使われていた林道だろうか、道もしっかりしているので少しだけ進んでみることにした。
国道側、大夕張炭山駅があった方角に、滝があった。川岸の紅葉もキレイに色づいている。
探れば探るほど、大夕張の景観、特に蛇行する川岸は変化に富んでいて見応えがある。
ねじねじ・・・
中尾彬デザインのガードレールですか?
重機が引っかけたのか、見事にネジネジ・・・
磯次郎沢
割とキレイなカーブミラーと、滝と、のぼり旗の棒・・・林道は最近も何かの目的で使われている感じだ。
橋から1km未満、まだ先まで進めそうだが、単独で無茶な深入りは止めておく。
鹿島の中心地、鹿島小学校跡がキレイに染まる木々の間から見下ろすことができた。
山々に囲まれ蛇行する川、街の明かりと立ち上る石炭のケムリ・・・なんと雄大な景色だったのだろうかと街が存在した頃を想像してしまう。
どこまで水没してしまうのか分からないが、蛇行する川の景色が失われるのは美的な情緒も無くて残念だ。
この辺までダムの水が溢れるとは思えないな・・・春日大橋を後にして北栄町から国道へ戻る。
まだ使うってことなのか?国道入り口に残る青看板の道路標識に、空しさを感じてしまう・・・
炭山駅があった付近から、元の線路脇にある中通り?元の線路?・・・雑草の中に残る舗装路を走る。
今は間隔を開けて育つ元の街路樹?が、宅地だったことをかすかに伝えてるようだ。
三菱大夕張炭鉱の寮や倶楽部、住宅が並んでいた富士見町を通り抜け、鹿島小学校のグラウンドへ向かう。
鹿島小学校跡
一週間前は紅葉していたイタヤカエデの葉も、すっかり落葉。母子像も寒そうだね〜・・・
小学校跡を国道に出る風景、今日もジャリ採石場がガーガーと稼働している。
夕張岳は雲間に出たり入ったり・・・スッキリ見えない。
鹿島東小学校跡
山の紅葉も真っ盛りで、すっかり秋景色
本日は「鹿島橋」を渡ってジムニーで常盤町へ入ってみます。
常盤町
落葉も進んでます。雨上がりで道もぬかるんでいるだろうと用意したクツはクソまみれ・・・
グルッとクルマで鹿島中学校まで行けるのか・・・
背丈の高い雑草に覆われて、舗装路がかすかに残る道。古い木の電柱が残っていた。
舗装路が途切れ、中学校があったと思われる地点まで来たと思うが、雑草が深くなり先へ進めそうもないのでUターンすることにした・・・
路肩の状況も雑草で見えないし、狭い泥道の上での切り返し、ジムニーじゃなきゃムリだったな・・・
中学校があったと思われる地点には、記念碑など何も見えなかった。少し戻ると住宅があったと思う平坦な場所もかすかに確認できるだけ。
川岸からやや登った場所、実際に入ってみると中学校は小高い場所だったようだ。川の向こうに新道の高架橋が見える。
いったいどんな住宅風景と暮らしがあったのだろう・・・
また雑草に覆われた泥道をかき分けるように戻り、常盤町を後にした。
鹿島橋を渡りきると、橋のたもとに草木と同化しようとしている街灯があった。
・・・いくら隠れても、街灯は街灯だよ・・・
千年町
千年町のメインストリートは水浸し。
紅葉目的か工事関係か、他にもクルマはチラホラ。
鹿島開拓
白銀橋を渡る。
ここから見る最後の紅葉かな・・・
もっと前から通っていれば・・・
先へ進み、奥鹿島へ
ものすごく壮大な景観に見える不思議な景色、川幅は2m前後くらいだ。
思わず見入ってしまうが、伐採された森に流れる川も。いずれダム湖の底になる。
ヒュッテへ続く道、新道との接続地点には工事関係者が大勢いた・・・奥鹿島も色づく木々がいい眺めです。
この林道らしい道も、伐採で見晴らしが良くなったが、いずれは面白みの無い新道に変わってしまう。
奥鹿島小学校の記念碑を探す。
現ルートから新道に登る道、何の看板も無いし入ってみると、そこには夕張岳に向かって伸びる新ルートがあった。
舗装しなくてもいいよ・・・
新ルートを走って戻ってみる
奥鹿島分校?
ありました・・・新ルート沿いに「白金望郷ノ碑」と共に並ぶ「奥鹿島分校ゆかりの碑」。
ダム工事に伴い、新ルート沿いに移されたような感じです。
校舎はどこだったのでしょう・・・もう少し奥で現ルートの近くに分校があったと思われる場所には、重機などが止まっていたし、新ルートの下敷きになってしまったのかな。
すれ違ったクルマは工事関係者のかな・・・
明石町の上に並ぶ高架橋に道路が完成していないので、道は白銀橋の手前の現ルートに降りてゆく。
いい山の景色はいっぱい・・・温泉宿でもあって、夕張の奥座敷にでもなれば良いところになりそうなのだが・・・
お国の土地だから、景観も風情もへったくれも無い、無味乾燥地帯に変わってしまうのかな。
本日も泥まみれジムニー
シューパロ湖、展望台や湖畔亭など、かつては公園などがあった観光名所。
湖畔亭があったと思われる場所から湖畔に降りてみる。
この目線で湖畔に立つのも、「三弦橋」を見るのも最後か?
今日も夕陽は微妙・・・道東・釧路のような鮮やかな夕陽はなかなか見れません・・・
南大夕張の駅前跡、新しい道路がギリギリまでになればイベントを開く場所はどうなるのか?
国道452号で遠幌町を過ぎ対岸の清湖町を望む場所にクルマを止めると、木に引っかかるゴミ袋・・・
40L袋か?空き缶がびっしり・・・キャンプ帰りか、工事関係のか・・・どこのアホタレなんだかな〜・・・
開拓や高度成長期の産業は全て水の底?
三笠も大夕張もダム、ダム、ダム・・・ムダ?
長沼まで戻る
今日も残念な夕陽、
厚い雲で早々に落陽です
あと1ヶ月ほどで雪の季節だな・・・
札幌に戻り、速攻で洗車場へ
クルマの下を念入りに高速洗車しつつ、
ねっとりクソまみれのクツ底を洗ったよ・・・ |