産業遺産    ●画像クリックで拡大表示アリ
北炭清水沢火力発電所
 北炭の自社炭を使用した炭坑用火力発電所。清水沢発電所は1926年(大正15年)に完成し、当初は17,000kw発電し、当初から全国でも有数の大規模な火力発電所だったようです。そして1958年(昭和33年)には、74,500kwもの発電量を誇り、周辺にある幌内・歌志内・赤平茂尻まで送電されるなど、炭鉱の電力を担う巨大な発電所となった。やがて1982年(昭和57年)に真谷地炭鉱の所有となったのだが、1987年(昭和62年)には真谷地炭鉱も閉山となり、1991年(平成3年)に清水沢発電所もその役割を失い、廃止となった。
 清水沢の谷間にそびえるその規模は、巨大な要塞のようで圧倒されるものだった。1996年頃から解体工事が始まり、わずかに残っている建物は1941年(昭和16)年に完成したもの。2011年現在も一般業者が一部を使用しながら、解体が進められ2006年(平成18年)頃に一気に解体が進んだ・・・

夕張清水沢アートプロジェクト
 アート展で発電所内部が見れることを知り、2011年9月19日に会場となった発電所を訪れた。現在残る発電所の建物は4分の1以下でほんの一部だけだ・・・




 ブラックダイヤ・・・石炭で繁栄していた頃の夕張方面では、電気代がタダだったという。


 大正時代の日立製。鋳造で造られたプレートだろうか?なんとも重厚感がある滑車だ。


 最上段に見えるコンクリート土台には線路が走り、炭鉱から運ばれてきた石炭が落とされ、その操作場からコチラまで斜路を通り、火力発電の巨大な炉へと石炭が運ばれたという。










 アート作品ではないと思うが・・・あまりホコリを被っていない気がするな・・・


 変電の施設は雑草に覆われ、窓の向こうに水力発電が行われている清水沢ダムが見える。


 コレは演出なのか?そのままあったものなのか・・・


 カンカンと靴音が鳴る薄い鉄板やメッシュ階段では無いことにいちばん驚いた。装飾が施された鋳造?の分厚い鉄の塊でできた階段は音も響かない重厚な造りだった。
 これほど立派な階段、国策の重要施設として、どれほど費用がつぎ込まれたのか計り知れない。






 丸い窓と階段のアーチ、階段上の屋根の支柱など細かいところに今の建築物には無いモダンで凝った造りが残ってることがわかる。機能だけ追求し現在のような工業施設と発展してきたのだろうけど、昭和は工業施設まで洒落ている。




 このアート展のためにかけたのだろうか、順路の中では危なっかしい板とハシゴ・・・
 自分は楽しいが、懐かしさで来る高齢者には、ちょいと危険な足場だった。


 ここが線路から落とされた石炭を斜路のコンベアに乗せる操作室のような場所だったらしい。
 (働いていた人に聞いたのだが、時間が経ってちょっと名称を忘れてしまった・・・)


 どのような構造で機能していたのかよく分からない・・・目の前には足下も危ない廃墟があるだけ。




 鍾乳石になってる・・・20年という時は、それほど昔ということか・・・


 細く急な木造の階段を登った詰め所だろうか・・・ロッカーなど残っていた。


 床に散乱するボルトとナット・・・これもアートだったのか?


 オイルフィルターのようなサビついた部材と工具・・・


 それにしてもホコリがかぶってないのは、ある程度、掃除して電話機やエンピツ削りなど机に並べ直したのだろう。

 しかし、引き出しの中の「折り鶴」はホンモノらしい。当時、小中学生などが工場見学などで訪れた際、働く者たちへ安全を願い、子供達からもらったもので、引き出しに入れたおいたのだという。
 引き出しの中にあって折り紙が色あせなかったのか、その鮮やかな色彩が暗い廃墟の中を照らしているように見えた。

 高度成長期の一時代を築いた産業施設の全てを無に返すとは、あまりにももったいない話である。
 (2011.10)

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