夕張清水沢アートプロジェクト<清水沢〜大夕張>(産業遺産ドライブ.16)●画像クリックで拡大表示アリ
9月19日(sun)【くもり/晴れ】 |
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1週間前に夕張に行ったばかりですが・・・ 北炭清水沢火力発電所を利用したアート展示が開催されていることを知ったので、また夕張方面へとクルマを走らせた。 夕張清水沢アートプロジェクト これが「北炭清水沢火力発電所」の内部を見学できる最後の機会かもしれない。 その前に、1週間前に旅芸人さんと巡った鹿の谷などをヨメに説明しつつ、夕張を回ることにした。 富野 栗山から道道3号で夕張へ向かう。峠に入る手前にある富野地区、かつてライダーハウスとなっていた空き地より左奥へ進むと、そこが夕張へ入る旧道の峠だ。 ここに住む人の敷地の中を抜けるような道を数メートル進むと、鹿の谷へと続く「二股峠」の道は雑草に覆われ、行く手を塞いでいた。昔は、この道沿いにも家や店が軒を並べていたのだろう、かすかな面影も雑木林に覆われてしまっていた。 本町3 夕張本町の歓楽街、訪れるたびその面影も少しずつ消えていくように見える。残る看板も夜に灯るのだろうか? 歓楽街を突き抜け、ラーメン「のんきや」で昼食とも思ったが、別な店に行ってみることにした。 鹿の谷駅前 駅前に古い倉庫?の面影を残す建物がある。 工業などが盛んな町の駅前に見る風景らしさが残る、青いトタン屋根に落雪防止の木がある建物は昭和を感じるな。 若菜 入るタイミングが今まで無かった店「だるま亭」、清水沢に入る前に昼食です。 しょう油ラーメンと“お子さまラーメン”塩を頂く。いたってシンプルなラーメンでした。 大夕張〜追憶の汽笛〜写真展 清水沢駅 女性写真家が撮った写真が駅舎の中に展示されていた。 ちょっと点数が少ない気がした写真はブログでも拝見しているが、やっぱりデジカメと違って、フィルムカメラの風合いはいいね。 現在は広い構内に線路が1本、駅舎からホームまで遠いのが不自然なのは、現・石勝線の他、かつては三菱石炭鉱業の大夕張鉄道線なども入っていた線路が撤去されているからだ。 「子供の時、鹿の谷から通った清水沢は都会だった」と先週会った旅芸人さんが言っていた。そのメインストリートも日曜にはほとんどがシャッターを下ろしている。 室蘭の中央町などもそうだが、地方都市の商店街は、日曜は休業が多い。平日は賑わいがあったりするから、この週末の光景は“日曜だから”と思いたいが・・・ 夕張清水沢アートプロジェクト 北炭清水沢火力発電所 自社炭を使用した炭坑用火力発電所として、国内でも有数の規模だった巨大な発電所からは、近隣の炭鉱町、幌内・歌志内・赤平茂尻まで送電されていた。現在も残る建物は1941年(昭和16年)に完成したもので、1991年(平成3年)年に発電所の廃止が決まってから解体工事が始まり、2006年(平成18年)頃から急ピッチで解体が進んだ。 現在も一般の会社が敷地を利用しているため、通常は入ることができない。その発電所を使って展示会をするとは、今時、大胆な企画だと思った。 元の入り口ゲートを下る道に、白い庭石が敷かれていた。コレは・・・アート? いよいよ土砂が積み上がる発電所の構内が見えてきた。 初めて間近で見ることができたが、あの圧倒的な規模だった姿はどこへやら、いつの間にか解体も進んで、ずいぶん小さくなっていた・・・ ロープで記された順路を歩く。何がどう機能する建物なのか、素人にはサッパリ分からない。 建物内部には配電盤のような機器が残っている。同化するようにアート作品も飾られていた。 アート作品もそこそこに、建物自体がアートに見えるので、そちらばかりに目が奪われる。 アート作品・・・ 窓の外には水力発電を担う清水沢ダムが見える。眼下に並んでいた変電施設は姿を消し、雑草に覆われていた。 発電所内部を歩いて驚いたのは階段。カンカンと靴音が鳴る薄い鉄板やメッシュ階段では無い!装飾が施された鋳造?の分厚い鉄の塊でできた階段は音も響かない重厚で凝った造り。これほど立派な階段、国策の重要施設として、どれほど費用がつぎ込まれたのか計り知れない気がした。 丸い窓と階段のアーチ、階段上の屋根の支柱など細かいところに今の建築物には無いモダンで凝った造りがかすかに残っている。機能だけ追求し現在のような工業施設と発展してきたのだろうけど、昭和は工業施設まで洒落ている。 ここが線路から落とされた石炭を斜路のコンベアに乗せる操作室のような場所だったらしい。 (働いていた人に聞いたのだが、時間が経ってちょっと名称を忘れてしまった・・・) 休憩室だろうか、暗幕がかけられた中を覗くと、並べられた灰皿などは演出だった。 このアート展のために、ある程度片づけたのだろうけど、ボッカリ崩れた建物など、少々危険な状態。見学できたことは良かったが、よく許可が下りたと思う。 ほぼ同時に、この建物を見学に来ていたご夫婦が、何やら詳しく語っているのが聞こえてきた。どうやら、この場で働いてた人らしく、声を掛けてみた。 お二人の話では、この事務所は帳簿なども当時のままだと言う・・・それにしてもホコリがかぶってないのは、ある程度、掃除して電話機やエンピツ削りなど机に並べ直したのだろう。 お二人は愛しげに机やイスを触り、懐かしくも大変だっただろう当時の話をしてくれた。 演出かと思ったら、引き出しの中の「折り鶴」はホンモノらしい。当時、工場見学などで訪れた小中学生などが働く者達の安全祈願に渡してくれたものらしく、大事に引き出しに貯めていたという。 小学生の頃、室蘭の新日鐵に工場見学へ行ったときはワクワクだった。お土産は、クマの顔の文鎮だったが、もう実家にも無いだろな・・・ここも廃墟ではなく、稼働している時に工場見学してみたかったものだ。 2011年は東日本大震災により福島第一原発の事故、ヤラセ問題などでエネルギーを見直す年になった。北海道の石炭は枯渇したワケでもないし、こんな巨大な発電所もあった。新エネルギー源として上手く利用していけないのだろうか・・・ そのお二人は今も清水沢に暮らしている。発電所内へ入ったのは25年ぶり・・・それまで中に入る機会はなかったということだ。 順路ではないが・・・旦那さんは良い思い出も悪い思い出も、ここにあった全てを懐かしみ奥さんと語っていた。 出口まで一緒に歩き、以前の風景を話してくれた。発電所の見学も、ご夫婦との出会いで後半は実に有意義に見て回ることができた。 ズリ山(アート作品有り)には登らず、清水沢を後にした。 北炭清水沢火力発電所ギャラリー ← コチラは一眼デジで撮影したギャラリーページです。 大夕張 もう来年には新道ができて走れなくなる国道452号。 南部〜大夕張まで、シューパロ湖を見ながら曲がりくねった湖畔の道、紅葉の季節など森林鉄道の鉄橋と夕張岳を見ながら走る景色がキレイなルートだ。 交通量が少なく飛ばしていた区間も、ここ2年ほどはじっくり走っているな・・・ 今日もあいにくの曇り空だが、夕張岳の姿を見ることができた。 鹿島小学校跡 ジムニーで来たのは、グランドをずっと奥まで進んで旧道を探索するためでもあった。 まず歩いて奥の状況を見ると、奥へ続く道が残っていた・・・ 鹿島富士見町 グランドからその道を進むと、雑草に隠れそうな舗装路がかすかに残る道が真っ直ぐ伸びていた。住宅街を抜けて、かつての大夕張炭鉱の大夕張炭山駅の方向へ続く道だ・・・この道と国道との間には土砂が積まれ、枝道も工事などで塞がれてクルマではこの道へ入れないと思っていたら、グランドから続いていたのか・・・ 北栄町(官行) 営林署やメタノール工場があった北側の地区、川岸へ続く道を降りるとジムニーでも行けそうだけど・・・ 調子こいてスタックでもしたら、仲間がいないと悲惨なのは経験済みなので、ここまで。 途中にクサリで通行止めの枝道の先に橋があるが、大夕張に残る橋の中でも割と新しく見える。しかし何という橋かは不明。(後日、旅芸人さんが訪れ、徒歩で橋に近づき「春日大橋」ということが判明した) 仕方ないので国道から見下ろせる場所へ来て、草をかき分けカメラを向けた。橋は磯次郎沢へと続く道でカーブミラーも見える・・・林道アタックしてみたいところだが、もうムリかな。 常盤町 千年町、河原まで続く道の入り口も、日曜なので工事関係者の姿も無く絶好のチャンス!ようやく「鹿島橋」のある沢へと入って来ることができた。 ●鹿島橋 先客のクルマが1台止まっていたが人の姿が無い・・・クルマを橋のたもとに止め、橋を歩いて常盤町へ向かってみた。 ●暁橋 ※鹿島橋から、橋脚のみ望む 欄干を縫うようにからむ木の枝は、クルミの木だった・・・ 橋の上から下流に橋脚だけが見えている。人が渡る吊り橋「暁橋」がかかっていた橋脚だ。 橋を渡って常盤町へと進む。かつてこの先には「鹿島中学校」があり、後方には「鹿島東小学校」があったので、子供達が通った通学路だったのだろう。 奥へと続く道も、足下が泥と水溜まりがひどくなってきた・・・せめて暁橋のたもとまで行ってみたかったが、長靴じゃないと進めそうもないので断念。 途中、無茶な場所に便器が残ってた・・・ 鹿島東小学校跡 古い資料などの写真を見ると記念碑は木製だったから、もう朽ち果ててしまったのだろう、なんの痕跡も無い。写真で見た旧校舎の場所は周囲の山のカタチから奥側と推測。子供達が遊んでいた校庭も、今は深い森の中のようだ・・・ 鹿島千年町 東小学校を出てすぐ、ゆるい上り坂の道は国道へ向かって伸びる千年町のメインストリートだったのだろうか・・・ 鹿島開拓(鹿島白金) 久しぶりに奥まで入ってきたが・・・バッサバッサと伐採も進んで丸裸・・・ずいぶん見晴らしが良くなっていた。 「奥鹿島分校ゆかりの碑」がこの辺りにあるハズだが・・・奥へ進む。沢に降りている人影、山菜でも採っているのか?新しい道路が高くそびえていた。 夕張岳ヒュッテへ向けて更に奥へ進むと、工事車両や作業員の姿。シカが居た林が無くなっている・・・こんな奥までダムの水が入るというのか?ヒュッテまでの道を整備するためなのか? 舗装が途切れたすぐ、ヒュッテに続く林道の残り9.4km地点は、台風の影響で封鎖されていた。 見晴らしが良くなって、蛇行する川がよく見える。ジオラマの景色でも見ているようだ。 ●白銀橋 鹿島白金に白銀橋・・・金と銀、時々間違えてしまうな この橋も、塗り直され白く輝くことなく朽ち果てるのを待つだけ。もうすぐ紅葉の季節、木々が伐採されてしまった景色の色付きはどうなるだろうか・・・ 南部青葉 この地区で一番賑わっていた商店街・・・電気屋さんの前にあったはずの乾電池販売機が、無くなっていた・・・1年前はあったのに、もの好きな誰かが持って行ったのか?(※画像右は2010年8月) 奥には農家もあるが、この商店街に暮らしているのは右手前の1軒の家だけ。夏場は道路がバッタだらけだ。 商店街を通るこの道は、むかわ町や占冠村へ続く道道136号だ。シューパロ湖を超えると険しい林道、そこを整備して開通することは無さそうだが、建設中のダムまで道を残して、シューパロ湖と三弦橋を展望できるようにして、この道にも人の通りが戻れば良いのだが・・・ 南部菊水 かつては三菱南大夕張鉱の炭鉱住宅が並んでいた菊水町には、夕張ファームというキノコ栽培の会社があります。人が居ない日曜は、シカの庭のようです・・・ 南部北夕町 夕南町から急な坂を下りて、夕張川を「十亀和橋」で渡ると北夕炭鉱へ続く道がある。未舗装路なのでバイクなどでは来れませんでしたが、ジムニーなので奥まで行ける絶好の機会。 雨水などでミゾが掘れて少々荒れた道を登ってゆく・・・ 対岸に南部幌南町が見渡せる小高い場所に到達。 まだ道は続いていたが、かなり雑草に覆われて狭い道のようなので、ここまで。 452号の道路工事も影響して、ダム下流の川の水も濁ったまま・・・夏場、透き通った夕張川の姿をしばらく見てないことに気付く。 北菱鹿島炭鉱跡? 山側には炭鉱の坑口なのか、鉄の残骸はズリでも運んだコンベアなのか何なのかは分からないが残っていた。 黒く見える小山は小さな石炭の粒・・・立っている場所もズリ山の一部なのかな〜 近くには屋根と残骸が残る崩れた家屋の跡。 ショベルローダーのタイヤ、バイクの前輪、何かの部材・・・最近多い不法投棄ではないな。 昭和40年代頃の古い電子レンジだろうか?ここは住宅だった?それとも炭鉱の休憩室か何かか?? ・・・ その中にあった人形 足が長いね・・・ やっぱり普通の住宅があったのだろうか・・・ クマ避け鈴とか携帯ラジオに、長靴と草刈りカマでも装備しないと、あんまり奥まで入って行けないね。 来た道を戻る。 けっこう急な坂、雨が降ったらぬかりそうな道だ。 奥に見える山に、ズリ山があるハズだが、もう木々が生えてしまったのか判別がつかない。川には橋脚と思われる六角形の土台が残っていた。 恐竜の骨のような流木、川岸から見ると幌南町がずいぶん高い場所にあり、沢の水だろうか?小さな滝のように川に流れ込むのが見える。この場所も川が濁っていなければ、水に映る紅葉がキレイに見えるだろうな。 十亀和橋の手前付近。道沿いにあるのは何の土台だろう? 深い森へと続いている道は、北夕町の住宅街へと続いた道だ・・・ 「十亀和橋」を戻る。振り返って左に見える森が北夕町(画像:左)。かつての炭鉱住宅街は植林されて森に返っている。すべての炭鉱住宅には立坑からの坑内ガスが誘導され、暖房として利用されたという。 橋を渡ると、国道の下に位置する土地、かつては畑地もあって農家や炭鉱住宅もあったようだが、今は生活の気配があるのは1軒だけだ。 かつて栄えた山深い炭鉱町は森になったり水の底に沈んだり・・・1989年に昭和の時代が終って、石炭産業の全てが北海道の歴史から、幻のように次々と消えてゆくようだ。 大夕張という地域は国策により石炭を採掘するため町が造られ、国策によりムダに巨大なダムを建設するため町を消されてしまった、国が所有し国がどうとでもできる土地だったのだ。最初に仕事を求めて大夕張に来た大人達には仕事する土地だっただろうけど、大夕張で生まれて家族と暮らし、遊んで学んだ子供達にとっては生まれ故郷なのだ。 苦労して開拓した畑や牧場が私有地だったり、地域全体の土地所有権が北海道なり夕張市なりにあったならば、違った展開をしていたのかもしれないな。 繁栄と衰退、そのあまりに激しい変化に驚く風景ばかりだけど、もし奥座敷的な温泉宿などあれば、風光明媚な場所もいっぱいある。 かつて繁栄をもたらした石炭資源も、何か上手く利用できないのだろうかと考えてしまうが、お国様の土地ではどうしようもない。 “国道452号が変わってしまう”ことから始まった大夕張探訪、色んな事が分かってきた今、新しく開通する国道を走るたび、少し重苦しい気分になるだろう。 クルマだとつい遅くなり、夕陽を撮る時間は無かった・・・ |
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